Day 3|ブッダガヤ
釈迦の聖地で、エセ関西弁の詐欺師と戦う
目が覚めた。ベッドはいつもと違う。隣には有末もいる。揺れている。そうだ、インドにいて寝台バスに乗っていたんだ、と記憶が追いついてくる。バスはまだ走っているようだ。カーテンに隙間を作って外を見てみると、そこは乾燥した砂の土地。まばらに木々が生え、畑が耕され、地平線の果てには森が茂る。そしてその遠い森の上に、赤い太陽。ちょうど日の出だった。
6:17、しばらくすると休憩地点に停車した。ロードサイドのレストランのようだ。朝が早いので営業しているのかもわからない。奥に向かう人についていってみる。トイレがあるんだろう。予想通りトイレはあった。汚くて臭い。これこそがインドの便所、という感じだ。ここまではなんやかんやきれいなトイレに恵まれていたが、ついに本場が来た。
車内に戻って数分でバスはまた走り出した。スマホで現在地を確認すると、ブッダガヤまであと少し。菩提樹の想像を膨らませる。6:40、バスが止まった。「ガヤー、ボダガヤー」と棒読みの声。荷物をまとめてバスを出る。降りた場所は「土木工事を最低限はしましたよ」という雰囲気の田舎で、神聖な感じはまったくしない。
不発に終わったリキシャ・オークション
バスを降りた瞬間からリキシャの声かけが始まる。もちろんふっかけてくる。数人集まってきたので、試しに「こいつは何ルピーって言ってるけど、お前はどうだ?」と隣の奴に交渉してみる。「じゃあ俺ならそいつより安くいってやるぞ!」とオークションが始まることを期待したのだが、インド人は積極的に乗ってこない。同業者同士で気を使い合っているのだろう。何度かやりとりをして、結局たいして安くはない観光客料金で乗ることになった。目指すはマハーボディー寺院だ。
リキシャは走り出す。バスの停車地点からマハーボディー寺院までは、歩くと1時間ほど。普段ならそのくらい歩くのは訳ないのだが、ここはリキシャの安さを享受することにする。
タイの僧侶は、無料で乗る
GoProを回しながら乗っていると、途中の店先にお坊さんが立っている。ドライバーは坊さんのところにリキシャを停め、2〜3言交わすと、坊さんはそのまま相乗りしてきた。話を聞くとタイから来たらしい。ニコニコ笑顔の、まさにタイの坊さん。英語で少し僕らと話し、あとはドライバーと歓談して、寺院までの途中で坊さんは降りた。
ドライバーは坊さんから料金を取っていなかった。坊さんは無料で乗せる文化のようだ。仏教へのリスペクトが、インド人の「取れるだけ取る」精神を上回る瞬間。少しいいものを見た気がした。……まあ、その横で俺たちはしっかりぼられているんだが。取れる人からは取る。取るべきでない人からは取らない。そういう線引きの文化なのかもしれない。
その後また止まった、と思うと、今度はお坊さんとは対極にあるような胡散臭い男が日本語で話しかけてきた。どうやらドライバーの知り合い。ドライバーが「ほうら、カモを連れてきてやったぞ」という顔で合図しているのが見えて、無性にムカついた。「おい、早く出せ」と言ってもこっちに目を合わせない。ホテルもガイドも要らないと断り、「チョロチョロ(=行け)」とドライバーをせかす。ぱっと見は個人商売の人々の間にも、こうしたビジネス的なネットワークが張り巡らされているのは、ちょっと意外だった。
この日二人目の胡散臭い男、登場
リキシャを降りて朝飯を食べに行く。チベットレストランがあるというので向かう。チベット僧もこの町によく来るからだろう。そこへ向かっていると、この日二人目の胡散臭い男が話しかけてきた。
彼の風貌は、金のない不憫な痩せた色黒の少年を、無理やり大人にして老けさせたような感じ。以下、リスペクトを込めて「おっさん」と呼ぶ。おっさんは、怪しいインド人がもれなく全員履いているボロボロのサンダルをつっかけていた。
おっさんの日本語は、感心するほどに流暢だった。5分ほど話していて、詰まるところが一切ない。100%ガイドの押し売りで、詐欺師なのはすぐにわかった。だがこれもインドだなと思い、少し遊んでやることにした。金をせびられた時点で追い返してやるつもりだ。
濃縮100倍、エセ関西弁
レストランまでの道を歩きながら、おっさんは色々質問してくる。すぐに出身地の話になり、「大阪から来た」と言うと、なんと彼は関西弁に切り替えて話し出した。
「まさか関西弁もできるのか!」と驚かせたところまでで、さっさとやめておくべきだっただろう。なぜなら、おっさんの喋り方は、まるで非関西人のエセ関西弁を、インドのチャイのごとく100倍に濃縮したようなアクセントだったからだ。関東人から関西弁を習ったのか? どうしてこうなった、と言いたくなる悲劇である。最初の驚きを返してほしい。
「どうや! 俺は関西弁まで話せるんやで」みたいな顔を見て、俺の性格の悪さが出てしまった。普通の日本人ならここで下手くそな関西弁でも褒めてやるんだろうが、俺は違うぞ、と。変な使命感が湧き上がってきた。彼が自信満々に喋り終えたあと、1つ指摘してやった。
お前が喋っているのは関西弁じゃない。エセ関西弁だ。それを話すのは関西人ではない。
するとどうだ。おっさんは驚いたことに「お前たちだって関西弁うまくないじゃないか」と反撃してきた。はあ? 今から詐欺をして金を取ろうとしている相手を貶してどうする。こちらは関西在住20年だぞ。アホなやつだなと思いながら歩いていると、気づけばレストランに着いていた。
レストランの入り口で「じゃあな」と手を振るが、おっさんは一緒に入ってきた。鬱陶しいなと思っていると、同じテーブルに着きやがった。
チベット式の朝定食
俺はチベット式の朝定食を注文した。目玉焼き、チャパティ、ジャガイモのカレー、そしてモモ(チベット風蒸し餃子)。素朴だが朝にちょうどいい。
料理を待っている間、ペテン師は聞いてもいないのに大阪の地名、飯、酒についていろいろ語る。「串カツはうまいよなー(エセイントネーション)。ビールと一緒に食べたらあれは最高やでー」など。だが残念。有末も俺もあまり酒は飲まないし、そもそも二人とも兵庫県出身なので、大阪の地名を大して知らない。ドヤ顔で知識を披露してくるが、相手を間違えている。「兵庫県出身だ」と早々に伝えたのだが、さすがにそこまでの勉強は手が回っていないらしい。彼はかつて日本でガイドをしていたと言ったが、兵庫の姫路城も三宮も知らなかった。大阪のことだけは、相当勉強したんだろう。
菩提樹と、麻原彰晃の話
腹を満たし、いよいよ菩提樹の下で坐ってみる。マハーボディー寺院はスマホの持ち込みは禁止だが、カメラ(俺はGoProを持ち込んだ)は有料でOKだという。だから以下の境内の写真は、すべてGoProで撮ったものだ。
メインの大塔(ストゥーパ)は外観が補修中で、足場と囲いに覆われていた。いつもの荘厳な姿が見られなかったのは残念だが、それでも世界中から集まった巡礼者の熱気は本物だった。
大塔の中には、金色に輝く釈迦像が静かに鎮座していた。僧侶が一人、深く礼拝している。インドの土埃と喧騒のすぐ向こうに、こんなにも静謐な空間があることが信じられない。
そして肝心の菩提樹。釈迦が悟りを開いたとされる木の根本には、各国の僧侶たちが思い思いに坐し、読経していた。犬までもがその輪に交じって寝そべっている。聖と俗が、なんの違和感もなく同居しているのがブッダガヤらしい。
その菩提樹にも、囲いがつけられていた。神聖なものだから仕方がないか……と思ったのだが、聞いてみると、この囲いがついたきっかけは麻原彰晃だという。彼が許可なく金剛宝座(菩提樹の下の聖座)に座る事件があり、それ以降、柵が設けられたと言われている。思わぬところで日本の恥に出くわした。ここでは日本人は肩身が狭い。
寺院内では数珠を売りつけてくる不届き者もいたが、仏陀の教えを学んだ俺は「物への執着などない」と言って拒絶する。我ながら、聖地に来た甲斐のある断り文句だ。
聖地にある、日本のお寺
続いて向かったのは日本寺(インドサン・ニッポンジ)。ブッダガヤには世界各国の仏教寺院が建っているが、その1つに、れっきとした日本のお寺がある。砂っぽい田舎道を歩いていくと、「印度山日本寺」「INDOSAN NIPPONJI」と書かれた門が現れる。インドの土の上に突然あらわれる、見慣れた日本建築。不思議な気持ちになる。
本堂に上がると、その内部が圧巻だった。格天井いっぱいに花や鳥が描かれ、奥には金色の仏像。インドの土埃の世界から一歩入ると、そこは静謐な和の空間だった。掲示板には「花まつり」のポスターや日本語の案内が貼ってあり、こんな遠い地で日本語を見ると妙に安心する。
ブッダガヤを通しての感想は、「インドにしてはモラルがあるが、仏教の聖地にしてはモラルがないし、神聖さもない」というものだった。古都・奈良のような整然とした聖地を期待していたが、それよりはもっと原始的な「聖」が残っている感覚だ。マハーボディー寺院で一番強く思ったのは、みんなたくさんゴータマさんに祈っているが、それは果たして彼が望んだことだろうか、ということ。死ぬときでさえ弟子に「修行を続けよ」と言った彼は、こんなふうに祀られて、今どう思っているんだろう。
体力的にも疲れてきたので、当初考えていたスジャータ村行きはやめ、この日の宿があるガヤの町へさっさと向かうことにした。
そして、金の話になった
さて。半日ずっとついて回ってきた詐欺師のおっさんとも、そろそろお別れだ。「じゃあ行くわ、バイバイ」とさらっと言うと、案の定、引き留められる。「ちょっとちょっと、お金は?」と。ようやく来たか。これを待っていたんだ。
念のため言っておくと、こちらは食事中もことあるごとに釘を刺していた。「お前が勝手についてきてるだけで、俺らまじで金払わへんで」「そっちが俺らに質問してきてるんやから、こっちが請求したろか?」と。それでもおっさんは、図太く2000ルピーほどを求めてきた。最初から「2000ルピーでガイドするよ」と言ってくれていれば、気分は多少マシだったかもしれない(お願いはしないが)。半日遊び相手になってくれた礼に、500ルピーくらいなら渡してもいいかな、とすら思っていた。だが——。
……みたいな問答をした。100ルピーを押し付け合った末、結局おっさんは受け取らなかった。日本ではなかなかできない体験ですね。
哀れと言うのは、傲慢だろうか
少しの間しかブッダガヤには滞在しなかったが、日本人は私達以外、1人も見ていない。最近はもう、ブッダガヤに行く日本人も少ないのだと思う。おっさんは、1日に数人来るかどうかの日本人のために、わざわざ日本語を覚えた。日本の地名や食べ物、果ては関西弁まで勉強したのだ。そう考えると、哀れに感じてしまうのは傲慢だろうか。
バックパッカー全盛期、何年前か知らないがその頃は、これで日銭を稼ぐのも悪くなかったんだろう。だが今、日本人のパスポート取得率は下落し、インドへ来る人はかつての何パーセントだろうか。誰かから聞いた話では、昔は現地の貧しいインド人に日本語を教える日本人がいたらしい。「ガイドとして稼げるように」という、職業支援だ。きっと今はもう、そんなことはやっていない。大阪でインド人相手にガイドをやるほうが、ずっと儲かる時代だ。
ガヤへ — 知ったかぶりリキシャ列伝
その後、ブッダガヤからガヤのホテルまでリキシャで向かった。傾いた夕日がリキシャの中まで差し込んで、半日の疲れがじんわりと滲み出てくる。
運転手は「ホテルの場所はわかる」と言ったが、ここでインドあるある発生。完全な知ったかぶりであった。こちらはスマホで地図を見ているので「そこを右」「次を左」と指示するが、まったく伝わらない。
あきらめてホテルから歩いて30分ほどのところで降りた。まあ歩けばいいかと進んでいると、やはり声をかけられる。今度は別のリキシャが「ホテルの場所がわかる」と言う。……信じてしまったのが、また間違いだった。最初は10ルピー程度で行くと言っていたのに、勝手に迷って時間がかかったあげく「1000ルピーよこせ」と言い出す。ふざけるなと喧嘩していたら、ホテルの人が出てきて間に入り、「もうあきらめて150払え」と。ここでの喧嘩はもう書かない。思い出すだけでムカつくからだ。
ホテルと、Spice Affairの晩餐
ようやくたどり着いたホテルに荷物を置く。屋上に出ると、ガヤの街が一望できた。聖地の隣町とは思えない、雑然とした生活の風景。だがこの「何でもなさ」が、なんだか落ち着く。
荷物を置いて、飯を食いに行く。「The Spice Affair」という、ガヤにしては割といい値段のレストランだ。タンドリーチキンマサラ、バターナン、ガーリックナン、ケサルバダムシェイク、マンゴーシェイク、そして食後にグラブジャムン。二人でしっかり食べて、会計は1237ルピー(当時のレートでざっと2000円ほど)。インドの物価からすればかなりの贅沢だが、半日の戦いを終えた俺たちには、これくらいの報酬が必要だった。
店内のテレビでは、ちょうど『RRR』が流れていた。インドに来てインド映画を観るというのも、なかなか乙なものだ。言葉はわからないが、画面の熱量だけで何が起きているかは伝わってくる。食後のグラブジャムンは、シロップを吸った揚げ団子のような甘さで、一日の疲れに沁みた。
サンダルと、一日の終わり
帰り道、サンダルを買った。そういえば、怪しいインド人がみんな履いていたあのボロボロのサンダルを思い出す。俺もこれで、少しはインドに馴染んだだろうか。夜の街では、子供たちに囲まれて記念撮影。観光地での俺たちは、相変わらずコンテンツだ。
ホテルに戻り、有末と二人で「ノージョブフドウ」のインド編を観る。インドにいながらインドのYouTubeを観るという謎の時間。詐欺師と関西弁で渡り合い、釈迦の悟りの地を歩き、ネズミならぬ知ったかぶりリキシャと格闘した、濃すぎる一日。聖地は思ったほど聖地らしくなかったけれど、その分、忘れられない人間たちに出会えた。
エセ関西弁のおっさんは、今日もブッダガヤのどこかで、来るかどうかもわからない日本人を待っているのだろうか。次に彼の関西弁を褒めてやる日本人が現れることを、少しだけ願っておく。